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長野地方裁判所諏訪支部 昭和28年(ワ)36号 判決

原告 堀元吉

被告 北村勇吉 (いずれも仮名)

主文

一、被告は、原告に対し、金二十二万七百九十五円及びこれに対する昭和二十八年九月二日から支払のすむまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は二分し、各その一を原被告にそれぞれ負担させる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告の求める裁判

被告は、原告に対し、金五十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日から支払のすむまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二、被告の求める裁判

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二、当事者の事実上並びに法律上の主張

一、原告の請求を理由あらしめるための主張

(一)  原告は、訴外北村松枝の実兄であり、同訴外人は、昭和十五年四月五日被告と結婚式を挙げ、同年八月十八日婚姻届をして今日に至るまで夫婦の関係にある者である。ところで、右訴外人は、前記挙式後被告及びその母きみ(姑)と同居し、被告の家業である農業に従事していたが、被告が壮健でなく、姑きみが老齢であつたため、いきおい右訴外に労働量が加重された結果過労に陥り昭和二十三年八月中に肺浸潤のため発熱し、労働できなくなると、被告は俄かに冷淡になり、同訴外人に対し、肺病すじは家におけないなどと暴言を浴せたり、また些細のことから打擲したりして、乱暴な振舞をすることがあつたので、同訴外人は被告方においては病臥することもできず、やむなく同年九月四日病気療養のため実家に戻つて今日に至つている。

(二)  被告は、妻である右訴外人が病気のため扶助を要すべきことを熟知しながらこれを放置して顧みないから、原告は、やむなく先順位扶養義務者である被告に対しては後に利得の返還を求めることとして、先ず緊要事というべき右訴外人をして医師の診察並びに治療を受けしめ、その医薬費その他の病気療養費及び通常生活費を支出して同訴外人を扶養した。そして同訴外人の病気は短日月に全快するものではなく、原告の財産から支出された費用も昭和二十三年九月四日から昭和二十八年八月三十一日までに医薬費その他の病気療養に要したものが金三十二万三千百八十二円となり、食費その他の通常生活のために要したものが金十八万一千六百二十円となり、右の合計で金五十万四千八百二円となつた。

(三)  被告は、右訴外人の夫として第一次的にこれを扶養すべき法律上の義務があり、この義務を履行すべきであつた。そして若し被告が扶養したとすれば、被告は自己の財産から右原告が出損したと同一の数額金五十万四千八百二円の支出を要すべく、いかにしてもこれを免れることはできなかつた筈である。しかるに被告は右原告の扶養に因つて自らの扶養は免脱され、その結果扶養のために費消すべかりし右金額の支出を免れて、その分だけ財産の消極的増加を来しこれを利得していることになるが、その反面原告は同額の損失をしたことになる。そして右被告の利得は、原告の財産に因つて利益を受けたものというべきであるが、被告には原告の財産によつて利益を受くべき何ら正当の理由はないから、その利得は法律上の原因を欠く利得というべきである。よつて、原告は、被告に対し、右被告の利得額金五十万四千八百二円のうちから金五十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日から支払のすむまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告の答弁

(一)  原告の主張する第二の一の(一)の事実中、原告が訴外北村松枝の実兄であること、被告が同訴外人と原告主張の日から今日まで法律上は夫婦の関係にあること及び同訴外人が昭和二十三年九月四日以降今日まで原告方に戻つていることは認めるが、その余の事実は否認する。右訴外人が原告方に戻つたのは原告の主張するような理由に因るものではなく、同訴外人の我侭と原告の誘いに因るものである。

(二)  尚第二の一の(二)の事実中、原告が右訴外人の病気治療費並びに通常の生活費を負担したことは、その出損の数額の点を除きこれを認めるけれども、右数額及びその余の事実は否認する。

(三)  同第二の一の(三)の主張は否認する。

三、被告の主張(抗弁並びに法律上の主張)

(一)  被告には利得がないという主張

(イ) 訴外北村松枝は、昭和二十三年九月四日以来被告と同居することを拒んで別居し、被告に対する同居の義務を怠り、被告との共同生活に協力しなかつた者である。そもそも夫婦は同居し、互に協力し、扶助することが夫婦生活の本質的不可欠的要素であるから、夫婦の一方が同居を拒み、協力せずして他の一方に扶助を要求することは許されないものというべきであるから、同訴外人には扶助請求権はなく、また被告には扶助の義務はない。従つて原告がその主張の如く同訴外人を扶養したとしても、被告にはそれによつて免脱さるべき扶助義務がないから何ら利得もないといわなければならない。

(ロ) 仮に右訴外人に扶養請求権が存したとしても、同訴外人は昭和二十三年九月四日以来今日まで扶助の請求をしたことがない。従つて同訴外人の有していた扶助請求権はその不行使により消滅し、それに対応して被告の扶助義務も消滅したものというべきである。よつて原告がその主張のように右訴外人を扶養したとしても被告にはそれによつて免脱さるべき扶助義務がないから利得を生ずる筈がない。

(二)  法律上の原因があるという主張

(イ) 訴外北村松枝は、昭和二十三年九月四日実家に戻るについて、被告との間に同居、協力、扶助義務を互に免除するということを約しているから、同日以後被告には同訴外人を扶助する義務はない。よつて原告の主張する事実に因つて被告に何らかの利益があつたとしてもそれは右夫婦間の義務を免除するという契約に原因があるものというべきである。

(ロ) また原告は、被告に対し、昭和二十三年九月四日右訴外人に関しては今後被告の世話を受けぬと宣言してこれを引取つたものである。この事実は、原告自身被告に対する将来生ずべき求償権を抛棄したものというべきであるから、若し原告の主張する事実に因つて被告に何らかの利得があつたとしても、それは右原告の求償権を抛棄する旨の意思表示に原因があるというべきである。

(ハ) さらに、原告と訴外北村松枝とは兄妹であるから互に扶養義務者である。原告が同訴外人をその主張のとおり扶養したとしても、それは専ら妹に対する兄の愛情を満足させる為になされたものか、若しくは原告自身の扶養義務の履行をする意図の下になされたものとみるべきであるから、その点に法律上の原因があるというべきである。

(三)  不当利得の関係を生ずべき場合ではないという主張

(イ) 原告は、被告に代つて右訴外人を扶養したというのであるから、これは代位弁済とみるべきである。すると代位弁済者は債権者の承諾を得てこれに代位することができるから、この意義において被告はなお債務を負担している。従つて原被告間に不当利得の関係は生じていない。

(ロ) 右代位弁済でないとすると、原告がその主張する如く同訴外人の生活資料を給与したのは、原告と同訴外人間の贈与若しくは貸借によるものとみるべきである。何故なれば、若し原告のした行為が扶養に該るならば第一次的扶養義務者である被告に予め通告するか、事後において報告があつて然るべきである。蓋し扶養の程度並びに方法は被告の財産の程度生計の状況其の他の関係において定まるべきで、原告の専断によつて定るべきものではないからである。しかるに原告は事前においても、事後においてもその通告をしていない。

(四)  原告の損失はその出損の数額より滅少しているという主張

仮に以上の被告の各主張がいずれも認められなかつたとしても訴外北村松枝は、原告方において家事その他に従事し、その労務によつて原告の経済上に寄与をなし、原告の主張にかゝる損失を減少させている筈であるから、右労務による寄与部分は原告の損失の数額から控除すべきである。

四、原告の答弁(被告の抗弁並びに法律上の主張に対する)

(一)  第二の三の(一)における被告には利得がないという主張事実中、(イ)の訴外北村松枝は被告の主張する日から同居、協力していないけれども、それは被告が病気中の同訴外人に対し、前記第二の一の(一)記載の如き乱暴な振舞をして同訴外人の同居、協力を不可能にしたからである。よつてその責任は同訴外人にはない。また(ロ)の事実は否認する。

(二)  第二の三の(二)における法律上の原因があるという(イ)乃至(ハ)の各主張事実はいずれも否認する。

(三)  第二の三の(三)における不当利得の関係を生ずべき場合ではないという(イ)及び(ロ)の法律的見解は争う。

(四)  第二の三の(四)における訴外北村松枝がその労務によつて原告の財産に奇与しているという事実は否認する。

第三、当事者の立証〈省略〉

理由

(以下に挙げる甲号各証はいずれも証人北村松枝及び原告本人尋問の結果により、また乙第一乃至第四号証の各一、二は証人北村きみの証言によつて各その作成の真正なることを認めたものである。)

第一、被告と訴外北村松枝の夫婦関係のあらまし

被告と訴外北村松枝が昭和十五年八月十八日以来法律上の夫婦関係にあること及び原告は右訴外人の実兄であることについては当事者に争いがない。甲第四十四号証、同第九十三号証、乙第一乃至第四号証の各一、二、成立に争いのない乙第五号証、同第六号証、証人北村松枝、同堀勝、同北村正夫、同堀玲子、同堀ふみ子、同堀義久、同堀久美、同竹口福助、同品川末吉、同末永辰治、同北村きみ、同立石弘、同北村いね子、同上原善明の各証言、原被告各本人尋問の結果(一、二回)を綜合することによつて次のことを認めることができる。

被告と訴外北村松枝は、右婚姻の翌年には長女文江を儲け、その後昭和二十年頃までは大過なく普通の夫婦生活を営んできた。元来右訴外人は、勝気で、多弁な外向性々格、感情過敏性々活を有し、感情のまゝに行動することがときどきあり、被告は、内気で、無口な内向性々格を有し、やゝ狭量で右訴外人の性格を理解してこれを遇することができず、ただ漫然と夫婦生活関係を続けることの外に方法を見付け得なかつた者であるから、既に性格において融和でき難いともいえる夫婦であり、被告の母(右訴外人にとつては姑)は俗にいうしつかり者ではあつたが、若い夫婦と程よく折り合うすべにたけた人ではなかつた。このような人達が同一家庭で共同生活をしていたのであるからその共同体の精神的基盤は強固なものではなかつた。果せるかな、昭和二十年頃から右夫婦間または嫁と姑との間にときどき争いが起るようになつた。ところでその夫婦喧嘩においては、一方が手を出せば他方も手を出すという風で五分と五分の争いをしていたのであつて、必ずしも妻である右訴外人が負けていたわけではなく、嫁と姑との争いも互角であつた。そして同年一月頃被告と右訴外人は、些細のことからいさかいをなし、その結果同訴外人は原告に連れられて実家に戻つたこともあつたが、仲人や近隣の人達を介して同訴外人の方から被告の方にあやまり、近隣の人達も種々両者間をとりなし、今後は同訴外人に斯様なことをさせないように気を付けさすからと申入れたので、被告の方も折れてその後まもなくいわゆる元のさやにおさまつて事なきを得たこともあつた。その後暫らく平穏に過していたが右訴外人は、昭和二十二年七月頃より肺浸潤に罹り、翌二十三年八月頃発熱したため、このことが新らしく家庭内の平和をおびやかす一要因となつた。即ち、同訴外人は、被告や姑に病気自体及びその療養について何らの相談もせず、苦痛を感ずるときは被告や姑に理由も告げずに実家の原告方に戻つて休養することもあつたが、被告や姑が、若し気を配つたなら同訴外人の様子からその病気が解る筈であつたのに無頓着に過し病気そのものが解らず、従つて同訴外人の何のために実家に戻つたのか了解できないので不満を感じ、その不満が非難となつて言動の上に表れると、同訴外人はその非難を当らないと考え、そのことから争いをすることもあつた。たまたま、昭和二十三年九月初頃被告が自己所有の金二百円の置き場所を忘れていて紛失したものと誤信し、これを右訴外人に質問したことからいさかいを起し、夫婦の間でつかみ合い殴り合いまでしたが、近隣の訴外北村正夫が仲に入つてとりなしたところ、被告及び姑は度々のことでもあるし、今後は訴外北村松枝を家には置けないと言い出したので、同訴外人も対抗上負けられず、婚家を出る決心をなし、今度も原告に連れられて同月四日原告方に戻つた。そして同日以降同訴外人は妻としての同居、協力義務を懈怠しているけれども、これは、直接には右夫婦喧嘩に、間接には日常生活における夫婦相互間の思いやりが足りないことに起因し、被告もその原因を与えているものというべきである。斯して同訴外人は実家に起居するうちにさらに結核性腹膜炎を併発したが、右病気はいずれも手術等をせずに原則として自宅療養で足りていた。その後昭和二十四年三月頃には被告から同訴外人に対し離婚調停の申立があり、翌年三月には同訴外人から被告に対し、離婚、財産分与及び医薬費支払の調停の申立があつたがいずれも調停不成立に終り、その後昭和二十八年一月になつてから被告は訴外上野キク子と同棲するに至つたので、同月中に訴外北村松枝から被告に対し、内縁解消(この点については右キク子と共同相手方)医薬費及び生活費支払の調停の申立があつたが、これまた調停不成立に終つてしまつた。しかして、被告と右訴外北村松枝の夫婦関係は、同訴外人が昭和二十三年九月四日に実家に戻つたことにより極端に破綻状態になつていたが、いまだ全く収拾不可能な状態にまで破れていたとは云えず、昭和二十四年三月申立の前記調停が不成立になつた後、同年十月中旬頃同訴外人は突如被告方に現れて十日程起居していたが、その間姑と争いを起してこれを押え付けたりしたことがあつたので、そのことに関して被告が注意したことからさらに被告といさかいを起し、双方暴力を振つて争つた果、同訴外人が警官を呼んでこれに訴えたこともあつて、そのとき以降は愛情の片鱗すら失われ、夫婦関係は全く破壊されて、もはや当初の状態に回復することが不可能になつてしまつた。されば右事件の後、同訴外人は実家に戻つていたが、今日までの長い間、被告方から病気見舞その他の措置をして夫の義務を尽す意のあるところを示したこともなく、また同訴外人の方から病気のことや近況等を知らせるなどして妻の義務を尽す意のあるところを示したことはなかつた。

前記諸証拠のうち、右認定に牴触する部分は採用しない。他に反対の証拠はない。右認定の事実によると、原告の主張する被告の暴言や暴行は、夫婦喧嘩の或る場面を大げさに取り上げたものとしか解されず、結局非は一方のみになく、責めらるべき事由は双方にあつたといわなければならない。

第二、原告が訴外北村松枝を扶養したこと

甲第四十四号証、同第九十三号証、証人北村松枝の証言及び弁論の全趣旨によると、訴外北村松枝が昭和二十三年九月四日以降病身のため要扶養状態にあつたことは明らかである。そして同日以降昭和二十八年八月三十一日まで原告が自己の財産をもつて同訴外人を扶養したことについてはその出捐の数額の点を除いて当事者間に争いがない。

第三、原告の出捐に因り被告が自己の財産からの支出を免れたこと及びその数額

被告と訴外北村松枝とは法律上の夫婦である。夫婦は互に扶助しなければならない法律上の義務があり、この義務は、他の同居、協力義務と共に婚姻関係存立の本質を為す義務で、夫婦関係の存続する間はたとえ別居中で且つ夫婦関係が破綻状態にあつても原則としてこれを免れることはできない。被告は、右訴外人の同居、協力義務の不履行に自らも原因を与えていること前記認定のとおりであり、従つて同訴外人の同居、協力義務の懈怠にもかゝわらず自らの扶養義務を免るべきではない。しかるに被告は、昭和二十三年九月四日以降昭和二十八年八月三十一日まで同訴外人を扶養(扶助は扶養と同義と解するから以下においては一般に用いられている扶養の語を用いる。)せず、その間原告が同訴外人を扶養したことは前記のとおりである。そして同訴外人に関しては夫である被告が先順位扶養義務者であり、兄である原告は後順位扶養義務者である。そうすると、被告は、原告の右扶養により自らの扶養は免脱されたことになる。よつてこの点が被告の不当利得になるか否かは後に判断することとして、此処では原告の出捐に因り、被告が前記の期間内に自己の財産により扶養のため為すべかりし支出を免れたものと認められる数額を検討することとし、病気の妻を扶養するときは病気療養のための費用と通常の生活費との双方を支出するのが普通であるから、便宜上右両者に分けて算定することとする。

一、病気療養のための費用

(一)  原告が実際支出した費用

先ず試みに原告が前記の期間内に病気療養のために支出した金額を調べてみる。

(イ) 医師に支払つた分が合計で金三万三千二百二十四円(この点は甲第四乃至第六、第十、第十二、第十三、第十五、第十六号証による。)

(ロ) 薬店に支払つた分が合計で金一万八千七百五十七円二十銭(この点は甲第二、第八、第九、第三十一乃至第三十六、第三十九乃至第四十一号証による。)

(ハ) 建康保険並びに療養組合費が合計で金三万二千四百八十二円八十五銭(この点は甲第十四、第十九乃至第二十一、第四十三号証による。なお甲第四十六号証、第四十七号証の記載は右甲第十四号証の表及裏の記載と重複しているから採らない。)

(ニ) 温蒸布のための費用が合計で金五万八千八百五十六円(この点は甲第一、第八十八、第八十九号証による。)で右の総計が金十四万三千三百二十円五銭となつている。(甲第一号証によるとその他にも支出があつたように記載されているが、温湿布用の布の代金を除きすべて領収書又は証明書のある支出を基礎として計算した。なお甲第二十四乃至第二十九、第五十一乃至第七十九号証にによると、右の外に山羊乳、牛乳、蝮の紛末等栄養物の購入費の支払も認められるが、これはむしろ通常生活費の中に含ましめるのを相当と解するから此処にはあげない。)

(二)  被告が支出を免れたと認むべき費用

次に被告が、右訴外人の病気療養のための費用を負担しなかつたことにより、自己の財産からの支出を免れたと認められる数額を検討する。前記甲号各証及び弁論の全趣旨によると、被告が右訴外人の病気療養費の支払を負担したとしても、同訴外人の病気の程度に照し、右原告が支出した(イ)乃至(ハ)と同額の支出を免れることはできず且つその程度で足りるものと考えられるので、結局被告は右(イ)乃至(ハ)と同額の支出を免れていることを認めることができるけれども、右(ニ)の温湿布のための費用は同訴外人が前記期間中常に湿布を続けていたとも認められないので、この点原告の出捐は多額に過ぎ、被告が支出していたとすればその三分の一に止め得たものと認められるので、この点のみ前記(ニ)の金額の三分の一に当る金一万九千六百十九円となる。よつて、被告は、右の合計金十万四千八十三円(次の通常生活費の算出に当つては円以下を四捨五入しているので此処でも円以下は四捨五入する。)の支出を免れているとになる。右認定に沿う以外の甲第一号証の記載は採らない。他に右認定を動かすに足る証拠はない。

二、通常の生活費

(一)  昭和三十年における被告方の生活費

被告本人尋問(一、二回)の結果によると、被告方は、現在被告、母、長女及び後添のキク子の四人暮しで、米及び野菜等の自給できる農作物を除いたその余の飲食物住居費、光熱費、被服費、その他の諸費で最近一年間の純生活費(税金や農業再生産のための費用等非消費支出を除いたもの)は金十万円であること、自家消費の米はすべて保有米で賄つているが保有米は昨年度は大人が一日四合二勺、小人が一日三合二勺の割合で受けていたのであるが、これはすべて消費し尽すこと及び自家消費の野菜等の価格を見積れば米を価格に見積つた場合の五分の一位に相当することがそれぞれ明らかである。そして右被告の供述中に表れた大人の分の四合二勺は六百二十八グラム位に、小人の分の三合二勺は四百七十八グラム位に相当すること経験則に照して明らかであり、諏訪市においては、右割合によつて保有米の量を決定していること当裁判所に顕著な事実でもある。右事実によると、昭和三十年度の一年間において、被告方は大人三人子供一人であるから一日二キロ三百六十二グラムの割合で、一年間に八百六十二キロ百三十グラムの保有米を持ちこれを全部消費していることになる。そこで右一年間に消費する米の価格を算定することとする。被告方は農家で米は政府に対してのみ売却できるのであるから、政府の買入価格を標準にすべきであるが、昭和三十年産米殻の政府買入価格を定めた昭和三十年七月二十三日農林省告示第六百三十号によると、精米二等で最低が六十キロにつき金四千五十四円であるから、一キロにつき金六十七円五十七銭の割合となるが、当裁判所は、被告本人の供述と右告示の規定によつて被告方の米は右告示の精米の二等に相当するものと認める。(消費する場合であるから価格の算出に当つては精米の価格を標準にすべきである。なお被告本人の供述によると、被告方の米は玄米で三等である旨の供述があるが、右告示によると玄米は五等まで定めてあるが精米は二等までしか定めていないので、被告方の米が精米の何等に該るか直接の資料はないが、被告本人の供述と右告示の三等以下を規定していないことにより被告方の米を精米にすれば右告示の精米二等に該るものと認めた。)すると、被告方において右一年間に消費する米の価格は、右金六十七円五十七銭に八百六十二キロ百三十グラムを乗じた積である金五万八千二百五十四円であるというべきである。次に被告方において消費する野菜等の価格は、右米の価格の五分の一位に相当するというからこれが価格は金一万一千六百五十一円と認められる。以上の検討によつて、昭和三十年における被告方の年間純生活費は、米、野菜等を除いた分の金十万円、米の金五万八千二百五十四円及び野菜等の金一万一千六百五十一円の合計金十六万九千九百五円であることが明らかである。そして右数額は、訴外北村松枝と被告の後添キク子と入替つたとしても変更はないものというべきである。

(二)  被告が前記期間中通常の生活費の支出を免れたものと認むべき数額

一般に公知の事実たる総理府統計局発表の全都市消費者物価指数(総合指数)によると、

昭和二十六年度を一〇〇・〇(平均指数以下同じ)として、昭和二十三年度が六九・九、同二十四年度が九二・二、同二十五年度が八五・九、同二十七年度が一〇五・〇、同二十八年度が一一一・一、同二十九年度が一一九・六、同三十年度が一一七・八である。よつて、前記昭和三十年における被告方の一年間の生活費を右物価指数に則つて前記期間中の各年のそれにに引直すと、昭和二十三年が金十万八百十八円、同二十四年が金十三万二千九百八十二円、同二十五年が金十二万三千八百九十五円、同二十六年が金十四万四千二百三十二円、同二十七年が金十五万一千四百四十四円、同二十八年金十六万一千三百九十六円となる。しかし原告の主張によると、期間は昭和二十三年九月四日から昭和二十八年八月三十一日までであるから、昭和二十三年は九月四日から十二月三十一日までの百十九日間昭和二十八年は一月一日から八月三十一日までの二百四十三日間の各所要金額を出す必要がある。そこで右日数により算出すると昭和二十三年は金三万二千八百六十九円、昭和二十八年は金十万七千四百五十円となる。そして右各年の金額は、その年の被告の家族四人の推定所要生活費と考えられるけれども、右は被告方の主婦に当る者が健康な状態におけるときの生活費を基準にして、算出した平均的生活費である。右と条件が変つて被告方の主婦たるべき者が病気で農事はもとより家事にも従事できないときは、直接間接にその労務から得らるべき収入はなく、他方多忙のときは他人を雇う必要もあり、その方の費用が病気療養費と重つて出費は一層増すのが通常である。しかるときと雖も夫婦間の扶養義務には何ら消長を来すべきものではないが、他に平均的な生活費をまかなうに足る財源がなければ、通常平均的な生活費を切り下げてその場をしのぐより外に致方がないであろう。本件の場合において、弁論の全趣旨によると、被告方は、田と畑で七反余を有する小農で、右農地から得る収入によつてのみ生活を支えていることが明らかであり、被告の母は老齢で、長女は子供であるから右両名の労務による収入を期待することはできず、主婦が病気となれば被告一人が農業に従事することになり、どうしても主婦が健全のときと比べてその収入は相当滅じ、結局平均的な生活費を切り詰めざるを得ない事情が明らかである。すると、前記昭和三十年における生活費を基準にして算出した各年間の推定生活費はそのまゝでは妥当しないことになる。当裁判所は、諸般の事情を参酌して、前記訴外人が被告方に同居し、病気を療養したいた場合の被告方四人の生活費は前記算出にかゝる各年の数額からその二割を滅じたものが相当であると判断する。すると、昭和二十三年(百十九日分)が金二万七千三百九十一円、同二十四年が金十一万八百十八円、同二十五年が金十万三千二百四十六円、同二十六年が金十二万百九十三円、同二十七年が金十二万六千二百三円、同二十八年(二百四十三日分)が金八万九千五百四十二円となる。そして右は家族四人の生活費であるからそのうちの一人に帰すべき生活費はその四分の一の額となるべきであるから、右各年間の数額の四分の一に相当する額を算出すると、昭和二十三年が金六千八百四十八円、同二十四年が金二万七千七百五円、同二十五年が金二万五千八百十二円、同二十六年が金三万四十八円、同二十七年が金三万一千五百五十一円、同二十八年が金二万二千三百八十六円となる、そして右各年の金額は、被告が右訴外人の通常生活費を負担していなかつたことに因り自己の財産から支出を免れたものと認められる数額である。他に右認定を左右する証拠はない。

第四、被告の利得につき不当性の存否

被告が訴外北村松枝を扶養しないことに因り、病気療養費並びに通常の生活費に相当すべき額の支出を免れて消極的財産の増加を得ていること前記認定のとおりであるから、被告が右認定にかゝる数額の利得をしていることは明らかである。他方甲第一号証、証人北村松枝及び原告本人尋問の結果によると、原告は、同訴外人の扶養に関して右認定にかゝる数額以上の出捐をなし損失していることが明らかである。そして右の免脱に因る利得と出捐に因る損失は共に訴外北村松枝の扶養に関して生じたものである。そこで被告の右免脱による利得が不当利得になるか否かを審按することとなるが、これは被告が右利得を保有することが法律の理想からみて公平と認められるか否かによつて決せるべきである。以下その点を検討することとする。

(一)  夫婦関係破綻の責任

前記第一において認定した如く、被告と訴外北村松技はときどき夫婦喧嘩をしていたが、それは一方が手を出せば他方も手を出すという風で五分五分にやつていたものである。そして前記第一において挙げた諸証拠によると、同訴外人の病気も必ずしも原告主張の理由によつて発病したとは認められないこと、また原告の主張するように同訴外人が病気になつたので、そのために急に被告が暴言、暴行をしたとも認められないこと、なお病気療養について同訴外人が懇に被告や姑に説明をし相談したことはないが、若し同訴外人がそういう態度に出たとしても尚且被告方において病気療養をすることが困難であつたという特段の事情はないことなどが認められる。しかし同証拠によると、被告側にも同訴外人の病気に気を用いず、病気で感情の昂ぶる妻に対して思いやりある処遇に欠けていたことを認めることができる。そして今日のような破局に直面した直接のきつかけは、前記認定のように金二百円の紛失事件であるが、第三者からみれば全く些細なことを大きな事件にしてしまいこれも非は夫婦双方にあるというよりほかはない。(右金二百円紛失事件は被告の誤解であつたことが直ちに判明したのであるから、客観的にみればすぐ平穏に納つてよさそうに思えるのに実際はその簡単にいかなかつた。この夫婦の悲劇の根は深いところに張つているのであろう。)以上の事情により、同訴外人の病気を考慮に入れて(若し病気がなくて今日の事態に立ち至つていたとすれば、破綻原因は圧倒的に同訴外人の側に帰するであろう。)も破綻原因がいずれに多く存在し、いずれに少く存在するということもできず、結局夫婦の双方が破綻の責を負うべきものと判断される。

(二)  破綻状態克服のための夫婦の努力はどうか

夫婦の本質は同居し、互に協力し、扶助することであるから、破綻状態の克服には同居協力扶助の可能な状態を作るように努めることが最も大切である。しかも本件の関係では前記の如く被告は夫としての義務を免れているものではなく、右訴外人も病気の故に妻としての義務を免れるものではないから、義務として互に同居、協力、扶助のできるような状態を作るように努むべきであつた。そしてそれが破綻克服の唯一の途でもあつた。しかるに、この夫婦はその後、夫も妻もそういうことに努力した形跡は全くない。それ故に前記認定のとおり昭和二十四年十月中旬(実はこの時期が夫婦関係調整に最もよい時であつた。なんとなればそれまで一年余別居していたのに、右訴外人が突知被告のところに帰つて来て十日程共に起居していたのであるから、被告も前に離婚調停を申立てゝはいるが、いまだその頃は遮二無二同訴外人を排斥していたのではないと推測できる。ところがその同居中、また嫁と姑、夫と妻で争いを起しその結果は調整どころか破局にまで進展してしまつた。)以降は夫婦の愛情は全く冷え、むしろ互に憎しみの感情さえ生じ、夫婦関係は当初に回復する望みを全く絶つてしまつた。このような事情からみて破綻状態克服のための努力は双方ともしていないと云わざるを得ない。斯く云うと同訴外人は病気中ではないかというかも知れないが、病人には病人としての為す方法がある筈である。例えば、病気の由を夫によく話し、療養、休養などについて相談の上これを納得させ、無用な摩擦の起らないように気を配り、身体で協力できないなら精神で協力するように努むべきでありそういう努力をすることが健康なときの田や畑若しくは家庭における一般的協力義務に代る病気中の妻の協力義務なのである。右訴外人がそういう努力をしたことは記録上認められない。同訴外人が右のような努力をしていないということは、たとえ被告が病気中米と調味料を一度届けたのみで後は顧みなかつたという冷い仕打と帳消しにはならないで、双方共その義務を尽していないことになる。

(三)  原告と破綻との関係

前記認定のとおり、原告は、右訴外人が婚家を去るに際し、二回(昭和二十四年十月中旬のときを入れると三回)とも連れて帰つているが、その際破綻の収拾について適当な手を打てなかつたものかと今更おしまれる。被告は、原告が右訴外人を誘つて連れ出したことが同訴外人の同居協力義務不履行の一因である旨の主張をしているが、その主張を肯認するに足る決定的な資料はないが、弁論の全趣旨によると、右主張も全然事実無根ではなく、原告も多少あづかつたところがあるのではないかと思われないこともない。そして、その後行われた三回の調停手続においても、原告の骨折り次第では事件が落着していたかも知れないと考えられる節もある。証人立石弘の証言によると、昭和二十四年秋頃原告も右訴外人も、長女文江の為にいやな思いを残さないようにしてくれさえすれば、離婚について他に条件をつけないといつていた時期があることが窺われるがそのとき既に原告も右訴外人も離婚をやむを得ないものと考えたとすれば、原告は兄として早期に円満な離婚を図るべく努力すべきではなかつたろうか。なお原告は、当裁判所の試みた和解手続において、夫婦関係は全く破れているから客観的立場からみれば離婚すべきであるが、離婚は右訴外人の意思次第であるから関与しないと云つていたが、諸事情から考えて、原告は事件の根本的解決に対してやゝ消極的である。(尤も右訴外人は、当裁判所の和解手続において発言し、全地球を貰つても離婚はしないと述べ、最近すこぶる硬化してきたが、当事者間の愛情が全くなくなり覆水の盆に返えられないことを承知しながらかたくなにそう決心しているとすれば悲劇は一層加重且拡大するのみである。と客観的には思われる。)

(四)  原告の扶養義務者としての地位

原告は、訴外北村松枝の実兄であるから、法律的にも被告に次いで同訴外人の扶養義務者であり、本件の場合全然義務なき者が扶養したときは趣きを異にする。

以上の如く、本件においては、夫婦の双方に破綻の責が帰属し、その後破綻事態の克服に関する努力についても双方にみるべきものがなく、且つ夫婦の義務についても長い間双方に不履行があつて事実上夫婦関係の終えんを来し、出損者たる原告自身第二次の扶養義務者であり且つ破綻状態における紛議に関係しながら事態の収拾に消極的であつたものである。かゝる場合には、原告の出損につき際限なく求償権を肯認することは至当ではあるまい。従つて被告の利得の全部について法律上の原因なき不当のものと断ずることをせず、右利得の一定のところで不当性を打切るのが公平に則る法律の理念に適合するものというべきである。しかして如何なるところに一線を劃すべきかというに、夫婦関係が全く破局に直面した昭和二十四年十月中旬から、事態収拾に相当と認められる三年を経過した後の昭和二十七年十二月三十一日をもつて不当性を打切るのが相当であると認められるので、被告の前記利得は同日以前の分に法律上の原因がなく不当性があり、同日以後の分については法律上の原因があり不当性がないものというべきである。

第五、被告の不当利得の数額

右の如く被告の利得のうち不当性のあるものは昭和二十七年十二月三十一日をもつて打切るべきであるから、次に不当利得となるべき数額を算定することとする。

一、病気療養ために要すべかりし費用

この点では前記第三の一の(二)において、被告が自己の財産から支出を免れたものと認定した数額から、昭和二十八年中に原告が支払つた分と同一の数額を差引くべきであるから、原告が同年中に支払つたものを調べると合計で金五千二百五十二円(甲第五号証の二分の一、同第九号証の五分の四、同第十二号証の三分の一、同第十六号証の全部、同第二十号証の三分の二、同第二十一号証の三分の二、同第二十九号証の全部、同第四十一号証の全部の各金額の合計)となるから、これを前記認定額から差引くと結局金九万八千八百三十一円となり、この金額を被告が不当に利得していることになる。

二、通常の生活費のために支出を要すべかりし費用

この点では前記第三の二の(二)において、被告が自己の財産から支出を免れたものと認定した各年の数額中、昭和二十八年の分を除いた合計金十二万一千九百六十四円を被告が不当に利得していることになる。

三、被告の不当利得の総額

右一及び二の合計金二十二万七百九十五円が被告の不当利得の総額である。

第六、被告の抗弁並びに法律上の主張に対する判断

一、被告に利得がないという主張について、

(イ)  被告は、訴外北村松枝は被告と同居を拒み、被告との共同生活に協力しなかつたものであり、同居を拒んで協力しない同訴外人に扶養を請求する権利はなく、被告にはそれに対応して義務はない。従つて原告の扶養によつて被告には免脱さるべき義務がないから利得はない。と主張するが、前記認定の如く、右訴外人が婚家を去つた直接間接の原因についての帰責事由は夫婦の双方にあり、特に昭和二十三年九月四日の場合は被告も家には置けないと云つたのであるから、同訴外人が被告の意思に反して実家に戻つたものとは認められず、被告も同訴外人の同居、協力義務不履行の原因を作つている。かゝる場合には、同訴外人の同居、協力義務不履行の故に被告の扶養義務を免れしめる理由がないから、この点の被告の主張は採用できない。

(ロ)  さらに被告は、仮に右訴外人に扶養請求権が存したとしても、同訴外人は昭和二十三年九月四日以来被告に対し扶養の請求をしたことがないから、同訴外人の扶養請求権は消滅し、それに対応して被告の義務も消滅しているから、被告には免脱さるべき利得がない。と主張するが原告は本件で扶養料の請求をしているのではないから、同訴外人が扶養請求をして被告に付遅滞の効果を生ぜしめたか否かは関係がない。この点の主張も理由がない。

二、被告の利得には法律上の原因があるという主張について、

(イ)  被告は、被告と訴外北村松枝は昭和二十三年九月四日相互に同居、協力、扶助義務を免除する契約をしているから被告に何らかの利得があつたとしてもそれは右契約を法律上の原因とするものである。と主張するが、前記の如く、夫婦の義務は婚姻の成立及び存続の本質をなし、民法第七百五十二条は強行規定と解すべきであるから、夫婦関係をそのまゝ存続さしておいて、夫婦間の義務のみ免除する契約が若し行われたとしてもそれは無効なものというべきであるから、その点は主張自体排斥を免れない。

(ロ)  さらに被告は、原告は右と同日被告に対し、右訴外人の扶養に関し、予め求償権の抛棄をしたものと解すベき行為をした。と主張するが、その証拠はない。証人北村きみの証言及び被告本人尋問の結果中には、原告は昭和二十年に右訴外人が実家に帰り再び婚家に戻つたとき、今度斯様なことをすれば無条件で引取ることを約束していたので、昭和二十三年九月四日のときは原告が無条件で引取つたものと解する。という供述があるが右供述は他のすべての証拠に照して信用できないし、また、たとえ無条件引取の約束があつたとしても、そのことから直ちに求償権の抛棄を認めることはできない。

(ハ)  なお被告は、原告が右訴外人を扶養したのは、専ら兄の愛情の満足のために為されたものか若しくは自己の扶養義務履行の意図の下になされたものである。と主張するが、全証拠を検討してみてもこの点の被告の主張を肯認することはできない。

三、不当利得の関係を生ずべき場合ではないという主張について、

被告は、本件の事実関係は、代位弁済または贈与若しくは貸借に該る場合である。と主張するが、その主張はいずれも当裁判所の採用しないところである。

四、原告の損失は減少されているという主張について、

被告は、訴外北村松枝が原告方で家事その他に従事し、その労務によつて原告の経済上に寄与をして原告の損失を減少させている。というが、これを認めるに足る証拠はない。

第七、結論

以上説明のとおりであり、被告の利得は金銭的利益であり反証のなき本件ではその利得が現存するものというべきであるから、被告は、原告に対し、前記不当利得となるべき金二十二万七百九十五円及び本件訴状送達の翌日であること記録中の送達報告書によつて明らかな昭和二十八年九月二日から支払のすむまで年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべく、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由なきものとしてこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条、第九十二条本文を適用し、仮執行の宣言についてはこれを付さないのを相当と認めるから該申立はこれを却下すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中加藤男)

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